いろんな芸能人や世間からは「グズ」と言われている蛭子能収さん。
そんな蛭子能収さんですが、数々の面白い名言集を残しています。
また、蛭子能収さんの性格についても調べてみました。
今回は蛭子能収さんについてまとめてみました。
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【漫画家】蛭子能収さんの名言集
みなさんご存知の蛭子能収さんとは…
蛭子能収、えびす・よしかず。日本の漫画家、タレント。
熊本出身、長崎育ち。
高校卒業後、看板店に就職。
4年半看板制作の業務に携わったのち、上京。
25歳で漫画雑誌ガロで入選。練馬のダスキンに入社し、配達員や営業を行い支店トップの成績を収める。
33歳で同社を退職し本格的に漫画家の道に進む。
マンガだけでなくテレビや各種メディア、映画、演劇などでも活躍した。
蛭子能収さんは数々の名言を残しています。
普段はクズなのにいいこと言うな〜と説得力のある言葉に納得した自分がいました。
本当はいい人なのかも!?
蛭子能収さんの名言を調べてまとめてみました。
えびすさんの人生のお言葉
蛭子能収さんの人生についての名言集を調べてまとめてみました。
・好きなことしなかったら、生きている意味なんてないじゃないですか。
・僕は人から嫌われていると思ったことがない。だって人に迷惑をかけることをしていないもの。そう胸を張っていればいい。
・プライドを持っている人は、かっこいいと思いますよ。ただ、プライドを高く持ちすぎていると、それをへし折られた時、ショックがものすごく大きい。自分をよく見せようとカッコつけるのも同じで、背伸びすればするほど、失敗した時に受けるダメージが大きい
・人間って誰かを幸せにしたり喜ばせるために生まれてくると思ってるんですよ。一番身近な誰かって、結局は家族でしょう。女房は俺を幸せにするために生まれてきた。そして俺は女房を喜ばせるのが運命だった。そういうことではないですかねとしても
人生に行き詰まった時や悩んでいる時に蛭子能収さんの言葉に救われた人は多くいると思います。
蛭子能収さんたまにはいいこといいますね!
仕事の名言集
蛭子能収さんの仕事についての名言集を調べてまとめてみました。
・仕事は一生懸命やる。その結果として得られるお金と自由を楽しんで使う。この点は一貫していると思います。
・収入が上がったからといって、生活を変えてはいけない。身の丈にあったペースで暮らしたほうが、絶対に楽しいですよ。
・もしイライラをその場で誰かに吐き出したら、現場の雰囲気が壊れ、つまらなくなってしまいますよね。そうなると、収録を続けることがストレスになってしまいますから悪循環。だったら、少々のことは呑み込んで、ニコニコしているのが一番ですよ。何より、他人に対して怒らない人は、周囲から好かれますから一石二鳥。
仕事に対して真面目だな〜と思われる名言ばかりでした。
だから蛭子能収さんはいつもニコニコ笑っていたんですね。
“笑う門には福来る”ですね!
嫌なことがあっても、とりあえず蛭子能収さんのように笑ってみましょう。
面白い名言集
蛭子能収さんの面白い名言集を調べてまとめてみました。
・実は非常にせっかちで、自動車の運転でも同様で、右折レーンの右折待ちの列すら待てない。最後尾には並ばず、直進レーンから右折レーンの一番前に割り込み、そのまま右折していくマナーの悪さを自ら悪びれることなく語っていた。
・きたろうは以前に蛭子と共演した際、蛭子が「きたろうさんが刑事役をやるのがおかしい」と笑ってばかりでNGを連発してしまい、ひどい目に遭っている。
その後何回かの休憩を挟み、Take15位まで撮り直したと、共演したきたろうや山下真司が述べている。
・朝鮮半島の軍事境界線を訪ねるツアーに参加し、絶対不謹慎な笑いをしないことと、真っ直ぐ歩くようにとの指示があったにもかかわらず、わざとジグザグに歩き、さらにいつものクセでシリアスな場面で笑ってしまったため、警備の米兵に殴られたことがある。
蛭子能収さんらしい面白い名言集でした。
どんな時でも笑っているのはいいことだと思いますが、
笑ってはいけない場面もありますよね…
友達の名言集
最後に友達についての名言集について調べてまとめてみました。
・友達の誘いだから断れないとか、おかしいでしょ。誘いを断れないような間柄を友達というのなら、僕は友達なんていりません。
・みんな、嫌われるんじゃないかとか、友達だからとか、考えすぎです。他人にどう思われたっていいじゃないですか。
・いまの日本では、子どものときから友達は多いほうがいいと学校で教える風潮がありますが、本当にそれでいいのですかね。友達が多い=人間の魅力があるみたいに評価されているじゃないですか。だから仲間はずれにされることを極端に怖がり、仲間はずれが有効ないじめとして成立してしまう。私は友達が大勢いることがいいとは思いません。
・見栄を捨てれば、生きる方法はいくらでもある。少し見方を変えれば、人生で思い悩むことは少なくなる。・相談できる友達は必要っていうけれど、大事なことは黙って自分で決めるもの。相談されたほうだって絶対迷惑ですよ。
なんだか蛭子能収さんがカッコよく思える名言ばかりでした。
特に女性の方が多いと思いますが、付き合いがめんどくさかったり苦痛に思う時あると思います。
断る勇気できそうで、なかなかできないんですよね。
蛭子能収はどんな性格なの?
蛭子能収さんの名言はおもしろくて、ジーンときましたね。
しかし、蛭子能収さんは変わり者で、性格はクズと言われています。
そんな蛭子能収さんの性格を解析したいと思います。
蛭子能収さんの性格がよくわかるエピソードを調べてまとめてみました。
孫よりもギャンブルが大好きでケチ!
蛭子能収さんはギャンブル好きで有名です。
そしてケチです。
蛭子能収さんはギャンブル好きで、競艇・海外での賭博含めれば1000万以上負けていると言いますが、どケチとしても知られています。
ケチな蛭子さん。
テレビ番組の企画にもなるぐらいで、孫にプレゼントを買ってあげるときにも「高いな〜」と渋ったりと、とにかくギャンブル以外に金を出すことを嫌います。
ただ突き詰めれば、蛭子さんはギャンブルも”お金を増やすための手段”としています。
とにかく蛭子さんはお金が大好きなようですね。
それは悪いことではありませんが、いろんなことの尺度が普通ではない蛭子さんですのでどケチに見えてしまうこともあるのかも。
まぁ、そう言いつつも生粋のギャンブラーであることも疑いようがありませんが…。
(以下、舛添前知事が政治資金で旅行に行ったときの話を絡めて)
孫のプレゼントが高いとはいったいいくらくらいだったんでしょうか?
孫が5人いて、孫の名前を覚えていないというエピソードも聞いたことがあります。
せめてかわいい孫の名前くらい覚えてあげて欲しいですね。
お葬式で笑うクズ!?
蛭子能収さんはお葬式や悲しい場面でなぜか笑ってしまいます。
いったい何が面白いのか意味不明です。
知人の葬式で「参列者全員が神妙な顔をしている」ということがおかしくて笑ったという。
自身のファンクラブ会長の葬儀に参列し、棺の中に自著『なんとなくビンビン』が収められているのを見て笑いが止まらなくなり、会葬者をあ然とさせ、連れだされた逸話がある。
纏めてみるとこんなにもクズなのかと驚かされてしまったが、法を犯すような犯罪行為はしないものの(麻雀を除く)、全体的にモラルのかけらもない人だ。
人の死に対する感覚が一般的な人と大きくズレており、恐らく脳に何らかの異常をきたしているのだと思う。
ただ、最愛の元妻が死去した際は涙を流したらしいので何とも言えない。
ー2001年8月5日妻が倒れるー
妻「今日は調子が悪いからデパートに行くのやめてもいい?」
蛭子さん「デパートは明日にしようか。じゃあボートレースに行ってくるわ」
家を出て数時間後、妻が倒れて病院に搬送されたと連絡を受ける。21年連れ添った最愛の妻を亡くした。
「すごく悲しかった」「奥さんはいないと寂しい」とのこと。
この話をしながら蛭子さんは泣いていた。クズとは言われていますが、悲しいという感情がない方ではないことが分かりました。
しかし、その2ヶ月後、落ち込んだふりをして女性マネージャーを家に招き、口説く。
これに対して蛭子さん「一刻も早く彼女が彼女を見つけたいなってすごく思って。もう誰でもいいやって感じになるんですよね。本当なんですよコレ」
後ろめたさはない?「ないですね全然。女の人であれば誰でもよかった」と笑顔で回答
いつも葬式で笑う蛭子能収さんですが、妻が亡くなってしまった時は泣いて安心しました。
しかし、その後のマネージャーを口説く行動がよろしくないですね。
しかもまだ2ヶ月しか経っていないのに…
蛭子能収さんは立ち直りが早いということなんでしょうか?
にしてもちょっと早すぎます!
孫よりも妻:貴美子さんが好き♡
妻が好きなのはいいことですよね!
しかし、「妻の方が好き」と口に出して言えることがすごいですね。
蛭子能収さんは、以前から愛妻家として知られています。
誰よりもとにかく奥さんが好き!
蛭子:オレは何と言っても奥さんが一番好き。よく「孫が一番かわいい」っていう人がいるけど、オレは断然奥さんなんだよなあ。
その理由がタダでやれるから…等という話も聞かれますが、それでも”一番好き”と言えるところは、愛妻家と見て良いでしょう。
愛妻家として広く知られており、以前出演した『おしゃれカンケイ』で、「奥さんと仲の良い秘訣は?」と聞かれ、「一緒の布団で寝ること」と答えていた。
「激しい夫婦ゲンカをしても、同じ布団で寝れば肌も触れ合う。そうすると自然と仲直りしているんですよ。」と語っていた。
そんな不遇の時代を支えてくれた前夫人は2001年に肺高血圧症で死去。
グズでどうしようもないと思っていた蛭子能収さんが愛妻家なのは素敵ですね。
だいぶ変わっている蛭子能収さんですが、やっぱり本当はいい人なのではないかと思える場面もありました。
蛭子能収さんはある意味大物でした。