俳優の小日向文世さんは三谷幸喜作品の常連で、連続テレビ小説「まれ」、映画「アウトレイジ」、「銀のエンゼル」など数多くの作品に出演している名バイプレーヤーです。
俳優だけでなく、日本テレビ「ぶらり途中下車の旅」のナレーター、テレビアニメ「いぬやしき」の声優としても活躍されています。
堺雅人さんに似てるイケメンだったという若い頃は、大変苦労をしたそうですよ。
また、奥様が元女優だそうですが、その馴れ初めやお子さんがいらっしゃるのか気になりますね。
小日向文世さんの家族構成や若いころについて調べてみました。
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小日向文世の息子が逮捕?
小日向文世さんは39歳の時に結婚しています。
4人家族で、奥さんと息子さんが2人います。
その息子さんが逮捕されたと噂がありますが本当でしょうか?
気になるので調べてみました。
小日向文世の息子も俳優で逮捕?画像アリ
小日向文世さんには息子さんが2人いて、長男は俳優の小日向星一さんで、次男が一般人です。
結論からいいますと…、
逮捕されたというのは人違いです!
二世俳優ということで、「小日向文世 息子」で検索されていたようです。
実際は2017年に橋爪功さんの息子さんで元俳優の橋爪遼さんが覚せい剤所持で逮捕されたそうです。
迷惑な話ですね!
名前:小日向星一(こひなた せいいち)
出身地:東京都
生年月日:1995年6月4日
年齢:22歳(執筆時)
学歴:明治大学政治経済学部
職業:俳優
特技:剣道(三段)
所属事務所:ファザーズコーポレーション
長男で俳優の小日向星一さんは1995年東京都生まれ。
成城学園中学校高等学校を卒業。
明治大学政治経済学部入学と同時に演劇活動を開始し、現在は父親と同じ事務所「ファザーズコーポレーション」に所属しています。
2017年ごろから俳優として本格的に活動開始。
『New みんなのGOLF』(ゲーム)、『博多の華』(むぎ焼酎)などのCMのほか、舞台『JASMINE―神様からのおくりもの―』や映画『リンキングラブ』などに出演しています。
2018年1月1日から始まったいすゞ自動車のCM「エルフ」では、父親の小日向文世さんと親子初共演を果たしたことが話題になりました。
このCM撮影は、お二人とも凄く楽しかったといっています。
また、2018年3月、テレビ朝日の深夜ドラマ「Q&A」で、主要人物「Q」役として出演しています。
そのような作品にいきなり主要キャストとして抜擢されることからも、小日向星一さんの注目度・期待度の高さがうかがえますね。
次に、次男は現在芸能界デビューはしていませんが、お兄さんである小日向星一さんのTwitterに度々出ています。
また、ご本人もTwitterを開設しているようで、それによると現在明治大学に在学中・演劇サークルに所属であることがわかりました。
また、お名前は小日向春平さん、明治大学付属明治高等学校出身で、高校までは剣道部に所属していました。
兄弟ともども子供の頃から剣道をたしなみ、かなり強い剣士だったようですね。
1995年小日向さんが41歳のときに長男がうまれ、1998年小日向さんが44歳のときに次男が生まれたので、
長男の星一さんの年齢は現在23歳、次男の春平さんの年齢は20歳です。
いずれにせよ、小日向文世さんの2人の息子さんたちは舞台活動を行っていて、前途有望のようです。
将来がとても楽しみですね!
小日向文世の妻は?
小日向文世さんは39歳のときに所属劇団の「オンシアター自由劇場」の女優だった11歳年下の女性と結婚しています。
周囲には内緒で交際していて、3年間の交際の末に結婚したそうです。
その後、41歳のときに長男が誕生、42歳のときに劇団が解散、以後次男も生まれます。
小日向文世さんは、劇団解散後、5年間主夫を経験したそうです。
貯金はゼロ、奥さんにも働き口があるわけではなく事務所に借金、2人の子どもを抱え2DKでの賃貸暮らし。
役者として稼ぎたいという意地からアルバイトをしなかったそうです。
そんなときでも、奥さんは別の仕事を探せ!と一言も言わなかったのだそうです。
焦る気持ちが募り、奥さんに当たってしまうこともあったといいます。
そんな時でも、奥さんは小日向文世さんがいずれ成功することを心から信じていたそうです。
「いつか何とかなると思ってた。私たちは同志だよ」
2001年、フジテレビドラマ「HERO」の出演でブレイクを果たし、成功をつかんだ小日向文世さんに贈った言葉だそうです。
元舞台仲間であり、夫である小日向文世さんに対する愛情や信頼の強さがとても良く伝わってきますね。
小日向文世は嫁と息子と仲がいい!
そんな小日向文世さん、もちろん愛妻家のようです。
結婚以来20年以上、家を出る時のお出かけのキスは欠かさず、
「死ぬまでそばにいてほしい」と思っているのだとか。
また、2人の息子とも、寝る前には必ずハグを欠かさないという、子煩悩なパパでもあるようです。
小日向家のルールでは出かける前は必ずハグをするのが習慣だそうです。
40代になってからの子どもですから、可愛くて仕方ないようですね。
また、苦労を掛けた奥様ですから感謝の気持ちもあるのでしょう。
家族を大切にしていることが伝わってくるエピソードです。
小日向文世の出身地や若い頃は?
そういえば、小日向文世さんの出身地を聞いたことがないです!
小日向文世さんの出身地は、北海道の三笠市です。
失礼ながら、あまり聞いたことのない地域ですね。
北海道出身とは意外でした!
飄々としたイメージから、東京出身だと思っていました。
さらに詳しく調べていきましょう!
小日向文世の昔は?プロフィールや身長をご紹介!映画・声優・ドラマ・CMと大活躍!
小日向文世さんのプロフィールです。
名前:小日向文世(本名同じ)
出身地:北海道三笠市
生年月日:1954年1月23日
年齢:64歳
身長:164cm
血液型:O型
学歴:北海道三笠高等学校、東京写真専門学校卒業
所属事務所:ファザーズコーポレーション
小日向文世さんは1954年北海道三笠市生まれ。
名前「文世」の由来は「文章で世のためになる」ということから。
3人きょうだいの末っ子で兄と姉がおり、父親は市役所の職員。
中学時代は卓球部、子供の頃に絵画教室に通っていたことから高校では美術部に所属し、油絵が道展で入選。
成績はオール2で、麻雀を覚えて熱中したことから、成績が急降下してしまったのだとか。
高校卒業後、グラフィックデザイナーを目指して上京、東京のデザイン専門学校に入学。
専門学校に通っていた18歳の時、群馬へスキーにいって左腕を複雑骨折してしまいます。
治療は入退院を3回繰り返し、8度の手術を受けるほどの重傷だったそうで、2年近くを棒に振ったといいます。
現在でも肘が完全に曲がらないという後遺症が残っているそうです。
治癒後、今の生活に違和感を感じ始めていたという小日向文世さん。
「痛い思いをしたのだから、好きなことをやろう!」と今までのデザイン系の専門学校を辞め東京写真専門学校に編入。
卒業後、22歳で文学座を受験するも不合格、ある人物の付き人になったそうです。
そして、1977年、23歳のときに串田和美さん主宰の劇団「オンシアター自由劇場」に入団。
同劇団を選んだ理由は、入所費が安かったことと、憧れの女優・吉田日出子さんが在籍していたことでした。
ちまたでは「若いころは堺雅人さんに似てる」と言われているようですが、確かに似ているかもしれません!
当時は、俳優の笹野高史さんが大道具のチーフ、小日向さんは美術のチーフを務めていたそうです。
1996年に同劇団が解散するまで19年間在籍し、看板女優である憧れの吉田日出子さんの相手役として活躍。
劇団解散後、42歳となっていた小日向文世さんは、映像の世界に興味を示し、ドラマや映画に出演するようになります。
しかし、仕事も端役が多く、事務所に給料を前借りして食いつなぐ借金生活…。
2000年、三谷幸喜さん演出の舞台「オケピ!」の、とぼけたピアニスト役として出演したことで転機を迎えます。
2001年の47歳の時に出演したフジテレビドラマ「HERO」のとぼけた検察事務官・末次隆之役で火が付きます。
以後、小日向文世さんのもとには仕事が途切れなく舞い込むようになりました。
今では、数多くのドラマ、映画、舞台に出演する名バイプレーヤーとして、また、主演俳優として、第一線で活躍を続けています。
小日向文世は若い頃ある有名人の付き人をしていた!
小日向文世さんは先でも述べましたが、若い頃ある人の付き人をしていたそうです。
「文学座」の受験に失敗したとき、文学座で人気だった中村雅俊さんのコンサートスタッフ募集の話を聞いて手伝いを始めたそうです。
1970年代、「太陽にほえろ!」や青春ドラマシリーズ、歌手活動などで大人気だった俳優の中村雅俊さん。
中村雅俊さんに気に入れられれば、「文学座」に入れるかも!?という邪な考えで引き受けたそうです(笑)。
コンサートで紙吹雪を飛ばしたりスモークを焚いたり、身の回りの世話をするスタッフとして手伝っている内に、付き人という位置になっていたようです。
歌だけじゃなく映画の撮影でも2人で待ち合わせして一緒に現場に向かったりして、付き人というより友達同士という感じだったそうです。
そんな生活が1年続いた後、中村雅俊さんは「役者になりたいなら付き人をしていないでどこかの劇団に入った方がいいと」助言をしたそうです。
その後すぐ、劇団「オンシアター自由劇場」に入団することになります。
「初めて小日向の芝居を見たので正視できない感じだった。
ただ、想像していたよりはるかにうまかった。
それがそのまま役者としてうまくいくとはわからなかったが、想像超えたうまさだった」
小日向さんが出演した舞台「西に黄色のラプソディー」に招待されたそうです。
同じ舞台人としての立場となって照れ臭い反面、才能にも気づいたのでしょうね。
実現したい夢として、
「これまで共演したことはないが、いつか同じ舞台に立って芝居のうまい小日向を目の当たりにしたい、そういう希望がある」
とも話しています。
中村雅俊さんは小日向さんのおしゃれへのこだわりも高く評価しています。
小日向さんが着ていたオーバーオールを借り、それを着て映画の撮影に臨んだことがあると明かしています。
そのオーバーオールは現在どこにあるかわからないそうです。
小日向さんのお気に入りだったかも…
ジャイアンのような借りパクはよくないですよ(笑)。
小日向文世さんは、劇団時代も解散後のフリー時代も大変苦労したことがわかりました。
そんな不遇の時代を乗り越えられたのも、同じ舞台人だった奥様の支えがあってのことでしたね。
また、二人の息子さんも演劇人として歩み始めたようです。
舞台人としてベテランの小日向さんですから、芸能の道が厳しいことは承知している一方、大好きな息子さんたちと共演したいという気持ちがあるはずです。
いつか、小日向親子の共演が実現できることを期待しています!
[sc name=”nakamuramasatoshi”]