大泉逸郎が病気!?大病で死去されたってホントなの!?現在は脳梗塞の後遺症と戦いながら、農家を頑張ってられる!

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1999年シングル「孫」でメジャーデビュー、通算250万枚以上の売り上げで一世を風靡した大泉逸郎さん。

これまでも、家業の農業の傍ら、アマチュア歌手として活動していて、自身の孫のあまりの可愛らしさがために作られたこの曲により、紅白出場歌手の仲間入りをします。

孫様様で、一生頭が上がらないでしょうね(笑)。

また、大ヒット当時、すでに50代後半だった大泉さんですが、2011年に大病を患ったという情報があります。

死去説も出ていますね…

今回は、演歌歌手の大泉逸郎さんの病気や現在の活動を調べてみました。

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大泉逸郎が病気したらしい…現在は?

メジャーデビュー曲「孫」が大ヒットを飛ばした歌手の大泉逸郎さん。

 

大泉逸郎さんが病気で入院したとか!

メジャーデビュー時、57歳と、遅咲きの演歌歌手である大泉逸郎さん。

 

年齢からして、病気と聞くと心配になります…。

 

大泉逸郎は何の病気だった?

大泉逸郎さんが病気になったのは2011年のことです。

 

2011年1月18日に、自宅近くにある友人の家で頭痛を訴えた大泉逸郎。

救急車を呼ばず、知人の車で病院へ向かい、検査の結果下された診断名は脳梗塞

早期発見だったことが幸いして命に別状はなく、手術はしていないが40日以上の入院を経て、無事に退院しました。

ちなみに、大泉さんは酒もたばこもやらないそうです。

今でも山形でサクランボ農家と兼業で演歌歌手をしている大泉さん。

年間1トンものさくらんぼ6種類を生産しているそうです。

 

山形のサクランボといえば、桐の箱に入った佐藤錦が有名ですね!

大泉さんは、朝は4時起き、夜の9時まで、奥様と二人で5940平方メートルの農園を管理しているそうです!

 

ステージが終わるとすぐに自宅に戻り、さくらんぼの手入れをするなど、忙しい生活が続いていた様です。

実は、「孫」以外にも「孫びいき」「親ごころ」、「これから音頭」などのヒット曲がある大泉さん。

決して”一発屋”ではありません!

あくまで本業は農家で、演歌歌手は副業として全国でコンサート活動などをしていたようです。

 

倒れた2011年当時69歳ですから、無理が祟ったのかもしれませんね。

 

大泉逸郎が大病(脳梗塞)から復帰!後遺症は?

退院した3月下旬には早々と仕事復帰をしている大泉逸郎さん。

 

体調は大丈夫。

医者からは控えるように言われているが、仕事をすることが自分には一番の薬だと思っているので。

今回の件で皆さんにご心配をおかけしたので、今後は心配をかけない程度に頑張っていきます。

雪深い山形の農家にとって、春先は重要な時期

また、早々に復帰したのにはそれだけが理由ではないようです。

※大泉さん在住の、河北町のゆるキャラは「べにのすけ」といいます(画像中央)。

 

2011年は東日本大震災があった年でした…。

2011年3月11日に発生した、東日本大震災

山形にある大泉さんの自宅に被害はなかったものの、宮城県東松島市にある次男家族の自宅が津波の被害にあいます。

※次男家族はみんな無事だったそうです!

また、福島第一原子力発電所の事故により、福島県相馬市にある奥さんの実家から5人が大泉家に避難してきます。

 

大泉さんは仮設住宅でライブ支援などをしています。

自身の家族が被災者となった大泉さんは、震災や原発事故が風化しないように「爺(じーじ)の海」をリリース(原発避難者が作詞し、大泉さんに曲を依頼したそうです)。

現在も歌で被災者を応援しています

 

現在も、歌手としてステージに立つ大泉さん。

幸いな事に言語障害はなかったものの、身体のバランス障害が今も残っています。

脳の細胞は一度ダメージを受けると元には戻りません。

大泉さんは歌手活動には問題はないようですが、軽い障害が残っています

真っ直ぐ歩いているつもりが、少しずつズレて行くそうです。

そのため、ステージから降りる際、暗い階段は明るくしてもらうなど気をつけているのだとか。

 

若々しく見える大泉さんも高齢者、転倒が一番怖いですからね。

 

大泉逸郎のあの時の「孫」は?現在が気になる!

大泉逸郎さんのシングル「孫」は実際のお孫さん(初孫)がモチーフとなっています。

 

そのお孫さんは大泉慎太郎さんといい、東京の大学に進学

地元・山形を離れて一人暮らしをしていましたが、2017年3月に無事大学を卒業し。

2017年時点で、アナウンサーを目指して、地元・山形のテレビ局に就職活動中だと言います。

※2018/12/8 追記:現在都内で保育士をしているそうです!

背が伸びてなかなかカッコいいという慎太郎さん。

小学4年生から塾にも通い、中学受験も経験。

バスで片道1時間をかけて中学へ通学していたそうなんです。

 

農家を継がなくてもいいから、自分の目の届くところ(山形)で就職してほしいそうです。

画像左が大学生の時の慎太郎さんで、TBSラジオで共演しています。

一人暮らしを始めたお孫さん宛にお米や野菜等を送ったり、たまにお小遣いも一緒に入れてあげていたそうです。

やはり、いくつになっても”孫”はかわいいのでしょうね(笑)。

※2018年現在の情報は見つかりませんでした。

 

長男で慎太郎さんの父親が急性骨髄性白血病と診断されています。

大泉さんの長男で、慎太郎さんの父にあたる方です。

慎太郎さんが1歳の時に発病したのだそうです…。

奇跡的に大泉さんと型が一致し、骨髄移植も成功しています!

 

この出来事は、2000年フジテレビでドラマ「孫」として放送されています

(キャスト:いかりや長介、柳葉敏郎、七瀬なつみ、他)。

 

 

長男の白血病をきっかけに、大泉逸郎さんはチャリティコンサートなどで骨髄バンクへの支援活動も積極的に行っています!

 

大泉逸郎の死去はデマ!孫御殿に「山形県 孫様」!?

大泉逸郎さんのプロフィールをご紹介します。

 

名前:大泉逸郎(おおいずみ・いつろう)
生年月日:1942年4月17日
出身地:山形県西村山郡河北町
身長:163cm
体重:70kg
血液型:O型
職業:さくらんぼ農家経営者・歌手
趣味:熱帯魚飼育

アマチュア民謡歌手として、1977年に東北・北海道民謡大賞を受賞した大泉逸郎さん。

このことをきっかけに、本格的に歌手活動を開始、初舞台は山形刑務所でした。

 

歌手活動を始めたときから現在まで、本業のさくらんぼ農家を優先、歌手はあくまで副業というスタンス。

賞を獲っても「東京で売れてやる!」という感じではなく、マイペースに地元で活動を続けていました。

 

転機が訪れたのは1999年

テイチクレコードから「孫」でメジャーデビューしたこと。

テレビで取り上げられたのをきっかけに、同曲が話題になります。

オリコン演歌チャートで1999年11月29日~2000年5月22日まで26週連続1位

総合チャートでも最高3位になり、当時、累計100万枚以上の売り上げを記録したのです。

この年の紅白歌合戦にも出場した大泉さん。

当時の白組歌手最年長初出場記録を更新しています。

 

その後も「孫びいき」「親ごころ」と立て続けにヒットを出しています。

孫御殿と呼ばれる豪邸を山形県にある自身のさくらんぼ畑の側に建て、現在は悠々自適の生活を送っています。

孫の慎太郎さんにお小遣いを上げる理由として、「孫の存在で売れたから」なのだとか。

 

『山形県 孫様』とハガキを送ると大泉さん宅に届きます。

これはバラエティ番組でも取り上げられていました。

地元の郵便局の配慮で届くようですよ。

 

2018年で76歳の大泉逸郎さん、「ひ孫」を歌う気満々です(笑)。

 

【まとめ】家族を大切にしている大泉逸郎

今回は、メジャーデビュー曲「孫」で一世を風靡した大泉逸郎さんについて調べてみました!

1999年当時は小室サウンドがチャートを賑わしていたころですね。

そこに演歌が割って入ってきたわけですから、年配の方だけでなく、比較的若い方たちにも話題になりました。

ちなみにこの「孫」が作られたいきさつとして、初孫の可愛さからというのは有名ですが、急性骨髄性白血病になった長男(孫の父)を励まそうという背景もあるようです。

長男の父である大泉逸郎さんの骨髄提供により、白血病は寛解※したようです。

※現在の医療では、白血病”完治”ではありません。

また、東日本大震災の際は、自身が脳梗塞という大病を患ったにもかかわらず、被災した次男家族や奥様の実家家族を支えたといいます。

 

76歳の大泉逸郎さんは、現在もさくらんぼ農家兼演歌歌手として活動しています。

 

最後までお読みいただきありがとうございました!