宮本信子の旦那:伊丹十三と結婚!夫との馴れ初めは?ドラマや映画タンポポ

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近年の宮本信子さんといえば、「あまちゃん」などの優しいお祖母さん役や、化粧品のCMでおなじみですね。

しかし、女優・宮本信子といえば、やはり伊丹十三監督作品での「個性的なオバサンの役」のイメージが強い人が多いと思います!

そんな宮本信子さんの夫である伊丹十三さんは、1997年に衝撃的な亡くなり方をしていますが、時を経て他殺なのではと噂されています。

今回は宮本信子さんと伊丹十三との関係を中心にまとめてみました!

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宮本信子の旦那は映画監督!夫が自殺って本当…?

宮本信子さんの旦那さんといえば、伊丹十三監督ですね。

 

宮本信子さんとは再婚だったようで、そのまえには川喜多和子さんという方と結婚していました。

「フランス映画社」に勤務の川喜多和子さんと1960年に結婚して、6年後に離婚をされているようです。

離婚理由については分かりませんでした。

 

1969年に伊丹十三さんと宮本信子さんは結婚をしています。

 

宮本信子と伊丹十三の結婚生活や馴れ初め

宮本信子さんと伊丹十三の結婚についてまとめてみました!

 

本名:池内信子(旧姓・宮本)
出身地:北海道小樽市
生年月日:1945年3月27日
年齢:73歳
身長:157cm
血液型:O型
学歴:愛知淑徳高等学校卒業
現職:女優、歌手
所属事務所:東宝芸能

二人の馴れ初めは、大島渚監督の1967年の映画「日本春歌考」での共演なのだそうです。

この頃、伊丹さんは俳優としても活動しています。

 

伊丹十三さんは俳優活動としては、『家族ゲーム』(1983年)、『細雪』(1983年)など。

キネマ旬報賞助演男優賞、報知映画賞助演男優賞を受賞している。

当時の伊丹十三さんは映画監督ではなく、俳優・イラストレーター・デザイナー・エッセイストなどをこなすマルチタレントでした。

 

1969年に二人は結婚(伊丹さんは再婚)。

宮本信子さんと伊丹十三さんの間には2人の息子がいます。

長男は俳優の池内万作さんです。

数多くのドラマや映画の主に脇役として出演している実力派俳優の池内万作さん。

代表作として、2002年の「こちら本池上署」シリーズや、映画「光の雨」「犬神家の一族」などがあります。

 

次男は池内万平さんです。

子供の頃に伊丹十三監督の「タンポポ」に出演しましたが、母親の宮本信子さんによると「助監督に怒鳴られすぎたのか芸能界に興味がない」とのことです。

現在は伊丹プロダクションの取締役など、完全に裏方に回っているようです。

 

宮本信子さんの子育てが一段落した1984年。

伊丹さんは「お葬式」で映画監督としてデビューし、宮本さんは女優復帰をします。

この作品は日本国内で高い評価をうけます。

以後、伊丹十三監督は「マルタイの女」など数々の話題作を公開し、また妻で女優の宮本信子さんは伊丹作品すべてのに出演しています。

 

公私共に強い絆で結ばれ、芸能界きってのおしどり夫婦として有名でした。

 

伊丹十三は自殺ではなく「他殺」だった…!?

宮本信子さんの夫である伊丹十三さんは1997年に亡くなっています。

 

1997年12月20日、伊丹十三さんは伊丹プロダクションのあるマンション下で遺体となって発見されます。

伊丹十三さんは、1997年、事務所のマンションに隣接する駐車場で遺体となって発見されています。

この伊丹十三さんの唐突の死は様々な憶測を呼びましたが、結局警察は死因を「自殺」と断定しています。

 

身をもって潔白を証明します。

何もなかったというのは、これ以外の方法では立証できないのです。

実は、翌日の12月22日に発売された、写真週刊誌「FLASH」に、26歳のOLとのデート現場を撮られています。

これが当時不倫と騒がれ、抗議の自殺といわれました。

しかし、これはOLの生活ぶりを取材するのに会っているだけだったようです。

伊丹さんは映画をつくる際にかなり深く取材をするそうなので、もしかしたら次回作の構想だったのかもしれません。

 

司法解剖の結果、伊丹は、すきっ腹にヘネシーをボトル1本、飲んでいたそうです。

自殺の前にお酒を飲んでいても、おかしくなさそうですよね。

しかし、症例数の多い法医学者によると

「データ的に、1杯程度の少量ならわかるが、ブランデーのような強いお酒をボトル1本飲み、酔ってから自殺する人はいない」

そうなんです!

 

また、遺書の件も不自然で、手書きに愛着がありインテリである伊丹さんが、辞世の言葉にワープロ使い、しかも陳腐な文章なのはおかしいと首をかしげる人も多かったようです。

※宮本さんに対する暗号ともいわれています。

あまりにも不可解な死に他殺説が噂されるようになります。

 

 

ジェイク・エーデルスタインの著書によれば、

伊丹は当時後藤組と創価学会の関係を題材にした映画の企画を進めていたそうです。

しかし、池田大作創価学会名誉会長や創価学会関係者、後藤組組長の後藤忠政がそれを快く思わず、後藤配下の5人が伊丹の体をつかんで銃を突きつけ屋上から飛び降りさせた。

と、エーデルスタイン氏が取材した人物が語ったという。

伊丹十三さんは死ぬ直前、創価学会と暴力団とのつながりを描いた映画を作ろうとしていたと言われています。

そのため、その映画の公開を阻止(あるいは抗議)しようとした創価学会関係のヤクザによる犯行だと疑われています。

 

1997年に公開された「マルタイの女」は創価学会を題材にしていました。

1990年代には伊丹十三監督は「創価学会と暴力団」との関係を知っていたということになりますね。

 

伊丹さん他界の3ヶ月後に、NHKが、「伊丹十三が見た医療廃棄物の闇~病院の裏側を追った伊丹監督最後の3カ月間」を放送したことで、伊丹さんが、亡くなる5日前まで、医療廃棄物の問題を取材していたことが、明らかとなります。

本来ならば、適切に処理をしないといけない医療廃棄物を、不法に、空き地などに捨てている医療関係者がいることに着目し、取材を重ねられていたようです。

伊丹さんが、この取材を通して、「薬害エイズ並の一大スキャンダル」を突き止めたとも言われており、それが原因で、関係者に殺されたのでは、との「他殺説」も浮上。

伊丹監督はルポライターという顔もあったので、他殺との噂があります

実際、伊丹監督は日々その内容を良く思わない人から、数多くの脅迫や嫌がらせを受けていたそうです。

 

死後、長らく休業していた宮本さんの様子を見ていると、他殺なのかなとも感じますね。

死因に関して抗議するわけでもなかったので、将来事件に巻き込まれることを夫婦で想定していたのかもしれません。

もし、不倫を抗議する自殺だったならば、女優業を休む必要はないと思いますし。

 

嫌がらせに屈することなく、難しい内容ながらも笑いも混ぜて、人々を楽しませてくれました!

 

 

宮本信子が出演していた伊丹十三監督のドラマや映画は?

伊丹十三さんは51歳にして初めて映画作品を監督しています。

 

「妻はいい女優なのに、なかなか主役の話が来ない。

ならば彼女を主役にした映画を自分で撮ってしまえば良い」

そんな思いで撮った、1984年公開の初監督作品「お葬式」

国内で高い評価を受け、日本アカデミー賞や芸術選奨新人賞など30を超える賞を受賞しています。

 

宮本信子さんはこの作品でブレイクし、以降、伊丹作品全作に出演してます!

 

宮本信子は伊丹十三監督作品「タンポポ」など全てに出演!

宮本信子さんといえば、伊丹作品に欠かせない女優さんでした。

 

伊丹十三さんが監督した10作すべてに出演しています。

その中からいくつかご紹介します!

 

この映画は伊丹十三監督デビュー作「お葬式」、マイナスをプラスに変える錬金術。

キャストは伊丹作品の顔、山崎努と宮本信子、共演に菅井きん、大滝秀治、津川雅彦などなど豪華な顔ぶれ。

1984年公開「お葬式」

 

タンクローリーの運転手が、さびれたラーメン屋の美しい未亡人に惹かれるまま、そのラーメン屋を町一番の店にするまでを、奇想天外の食物がらみのエピソードを混ぜて描く。

最初から最後までとことん食い物にこだわった映画である。

食い物の作り方、食い物の味わい方、そして食い方のマナーなど、教えられるところも多い。

1985年公開「タンポポ」

 

国税局査察部に勤める女性が、ラブホテル経営者を脱税で摘発するまでを描く。

1987年「マルサの女」

 

激安店の出現により営業危機に追いやられたスーパーの専務が、幼なじみのスーパー好きの主婦の協力を得て経営を立て直すまでを描いたコメディ。

監督・脚本は「静かな生活」の伊丹十三。

撮影も「静かな生活」の前田米造。

主演は「お葬式」以来、伊丹映画には欠かせない伊丹夫人の宮本信子と、同じく常連の津川雅彦。

1996年公開「スーパーの女」

 

女優の磯野ビワコ(宮本信子)は、偶然弁護士夫婦の殺人現場を目撃し、自身も殺されそうになるが、危うく難を逃れる。

事件の裏には宗教団体「真理の羊」が絡んでいた。警察の事情聴取後、殺到したマスコミの前で「裁判で証言する」と言う。

1997年公開「マルタイの女」は、伊丹十三監督の遺作。

 

「マルタイ」とは警察用語で捜査や護衛の対象になる人間を指し、この作品では護衛対象者を指しています。

宮本信子さんは伊丹作品に欠かせない女優さんです!

 

【まとめ】宮本信子と伊丹十三の強い絆

愛媛県松山市東石井には「伊丹十三記念館」というのがあり、伊丹さんが少年時代の一時期を過ごした縁からだそうです。

また、記念館のほかに「伊丹十三賞」というのもあり、死後20年経つ現在も伊丹さんの功績を感じることができます

その館長であり、妻である宮本信子さんは、伊丹十三さんとの死別後長らく活動を休止していましたが、ジャズシンガーとしての活動を開始していて、2005年にはアルバムもリリースしています。

また、2007年には映画「眉山-びざん-」で女優復帰し、以降現在に至るまで、数多くのドラマや映画、CMに出演しています。

これからも大女優・宮本信子さんの活躍を期待しています!

最後までお読みいただきありがとうございました!